自分以外は他人

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よく親子なんだからとか兄弟なんだからとか、昔から知ってるからとかよく遊んだからとか同級生だったからとか、一緒に働いていたとか・・・色々いろいろ人の繋がりはある。

でも、いくら血が繋がってよーと、共有した時間が多かろうと、他人は他人。まったく違う道を歩いているのだ。自分ではない。どーゆー事か?どーやったって、脳みそは違う、相容れないという事。

その人の脳みそになることは出来ないし、自分の脳みそを他人が持つことも不可能なのだ。その経験も知恵も知識として共通認識することは出来ても、完全には共有できないのだ。

なぜなら、経験が違うのだから。この経験は生きてきたすべての時間から作られているのだし、ましてやまったく違う人達とも絡んで生きてきているのだから、いくら血が繋がろうが共有した時間が多かろうが、完全なる共有なんて有り得ないのだ。

全くの他人・・他の人なのだ。自分以外の。なのに、人間の性で何か共有できるもの・人を探している。当然だ。人間なんだから、1人では生きられない。人と人の間で生きているから人間なんだ。

だからって、他人が自分に幸せにしてくれるなんて思うのは間違いだ。他人に期待したって、自分の思う通りの結果なんて、ほとんど有り得ない。

男女の場合、価値観が一緒だったり、他の人に取られたくなかったり、一緒の時間を増やしたいとか離れない味方がほしくて、結婚なんぞもしてみる。

で、してみた後で、価値観が違うとかで別れたりもする。なんじゃそりゃ。違って当たり前じゃないか。違うからこそ結婚したんじゃないの?じゃぁ最初っから結婚なんて法律で縛られたスタイルを選ぶんじゃないわよ。

人の脳みそは違うんだから。人の気持ちは変わるんだから。お互いに尊重して相手のプラスになる存在でいる努力をし続けずに、結婚生活なんて成り立つわけないじゃないか。相手を責める前に、その人を選んだ自分を反省しなよ。

どんなに頑張ったって、その人にはなれない。憧れて、その人に近づくように努力するのは良しとしても、自分は自分でしか無いのだ。他人が何かしてくれると期待するほうが、大間違い。

経営者の方でも同じだ。社員が自ら進んで会社をよくしようなんて思ってくれてると思うほうが大間違い。あんたの会社だ。あんた以外に誰が良くする努力をするんだ。

社員だって、いくら給料を払ったところで、他人だ。自分のことしか考えてない。自分の心が反映してオーラになり、それに共感・共鳴して社員のやる気に繋がっていくんじゃないの?自分が本気にならずして、どの他人が本気になるのよ。

自分の人生を自分のせいにしていない人達が、どれだけ多いことか。今、生きていることに感謝。今あることに感謝。そんなことは当たり前。

汚れていたら掃除をする。こんなことも当たり前。当たり前のことを当たり前にしてないから、そんな当たり前の行動ぐらいで認められたがる。自分という個性を他人と比較することなく確立していけなくて、これからの時代、誰が認めてくれるの。

もういいかげん気づいたら。自分以外は他人であることを。他人が自分にとっての幸せや満足をもってきてくれることなんて有り得ない。結局は自分の心がどう捉えるかで幸せも満足もあるってことを。すべての条件は自分の中にあるということを。

他人の目や声に踊らされて、1番肝心な自分の内なる心を覗いてない。誰にも開けられない扉を自分で鍵を閉めてる。その扉を開けるのは自分自身。誰も開けてくれない。

己のことを知らずに信じれず愛せずにいて、どこの他人が自分を知って信じて愛してくれようか。まず自分で自分を抱きしめてあげないと、誰にも抱きしめられない。

自分という人間を客観的に見て、認めるからこそ、自分を抱きしめることが出来るの。自分で自分を抱きしめてから、初めて他人を抱きしめることが出来るの。

他人との比較の中では、自分は確立できない。自分を他人との比較の上で評価していれば、結果、他人からの評価ももらえない。すべては自分との戦い。他人なんて関係ない。

他人に愛されたいと思うならば、自分を愛すべき。まずそこから。そのためには、内なる自分を知らなければ始まらない。そこに他人は関わらないし、扉を開けるのは自分しかいないのだから・・・。

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