お天道様は見ている

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俳優の伊東四朗さんが好きです。彼がドラマに出ていると画面が締まる気がします。

小さい頃、「でんせんにっ!すずめが三羽とまってたぁ~♪」をリアルタイムで見ていたので、あの頃からずっと変わらないような気もします。>そんなわけはない。(笑)

今年の正月明けに伊東四朗さんのインタビュー記事が掲載されてました。その内容がとても素晴らしかったので、ここで紹介です。

「もう大丈夫」なんて、どの世界にも無い

芸能界の重鎮・伊東四朗が語る、「逆境を越えた生き方」

芸能界は、どうしたら売れるかを解き明かす公式が全くないんですね。レッスンをしたり、勉強したりすれば、必ず売れるというわけでもありません。ベテランでも「もう大丈夫」ということはない。原因もわからずにふっとこの世界から消えてしまうことは、誰にでも起こりうる話なんです。

芸能界だと「一発屋」と言われる人が多くいますね。数年後には「あの人は今」でテレビに出てたりします。数年前、小さな時のアイドルだった天地真理さんのおばちゃんぶりに衝撃を受けたことがありましたが(笑)、何十年も安定してテレビに出続けているのはスゴイことだと思わされます。

一般社会においても「もう大丈夫」なんてことは、絶対無いですよね。「もう大丈夫」と思った瞬間から、すでに下降線の一途だと思うんですよ。ビジネスにおいても「現状維持」なんてのは幻想でしかありません。「現状維持」するために努力も労力も必要なんです。何もせずして「現状維持」は無いんです。時間も世界も人もお金も動いてますから。

自分のことは、自分が1番分かってなかったりする

「プロデューサー」や「監督」という職業の人たちは、本当に鋭くて、自分では気づかない側面を探し出してくれる。なんで私が「おしん」の父親なのか。「笑ゥせぇるすまん」の主人公なのか。はたまた70代を超えても「タフマン」なのか。他人の方が自分のことをわかってくれて、自分が一番自分のことをわかっていない。

正月に今年の抱負を聞かれるのが苦手です。だって何もありませんから。他の人が考えてくれた仕事を「私にできるのかな」と思いながら、やってきただけです。

対面鑑定でよくある質問に、「何が向いてますか?」があります。私もそうでしたが、案外、自分の得意なことって分かってないことが多いです。

他人から言われて「あっ!そっか!これって、得意なことなんだ!」って気づいたりするんですよ。でもって、他人から言われてやってみたら「案外、出来たわ。」なんてことも多々あります。

「何が向いてますか?」なんて聞く前に、なんでもやってみたら良いんですよ。やってみて「あれ?案外できるわ。」となるか、「あれ?全然、向いてない。」となるかは、やってみないとわからない。

だから何か新しいことをやるチャンスが出来たなら、やる前から「向いてない」「好きじゃない」「やったことない」とナイナイ言わずに、とにかくやってみたらいいんです。やってみることで、好きも嫌いも向き不向きも自分で答えが出せるんです。

「逆境」という単語は、自分辞書から無くしちゃえばいい

 人生で途方にくれた時、逆境とは思わず、試練と考えました。それを乗り越える絶対の答えはない世界だから、どんな仕事も誠意を尽くし、悔いを残さないように、と考えてきました。女房に掃除を頼まれた時も手を抜きません。「あらそーお?」と言われるかもしれないけど。

実は「逆境」なんて無いのかもしれません。「逆境(ぎゃっきょう)」の意味知ってます?調べたら、「物事がうまくゆかず,苦労の多い身の上。不遇な境遇。」って意味でしたよ。こんなマイナス言葉、必要ないでしょ。

伊東さんの言われているとおり「逆境」を「試練」としたならば、「逆境」って文字が自分の辞書から消えますよね。こんなマイナスの言葉、使わなきゃいいんですよ。

私の辞書にも「逆境」はありません。「逆境」の状態もよくわかりません。他人から見れば「逆境」の状態にいても、私の中では「修行」に置き換わります。「修める行」なんで、「修めないと次に進めないなー」ぐらいの感覚で、淡々と修める努力をするだけです。

「お天道様は見ている」だから「今をせーいっぱい生きる」

「お天道様は見ている」というでしょう。確かにそうだと思います。考えてみると、怖い言葉だと思うんです。「人は死ぬまで仕事でも生き方でも手を抜けないよ」ということなんでしょうから。

物質社会に生きてると、どうしても「我良し」だけの生き方になっちゃうところを、「お天道様が見ている」と思い、姿勢を正すことが出来るってステキだと思いません?私は、「お天道様は見ている」で意味が通じる日本人の価値観が素晴らしいと思うんですよ。

「お天道様は見ている」から「いつでもどこでも手を抜けない」でもあるし、「お天道様は見ている」から「今をせーいっぱい生きれば良し」でもあると思うんです。

「お天道様は見てくれている」でもいいと思います。誰が見てなくても、お天道様は見てくれてます。自分の良心に沿って、今をせーいっぱい生きましょう。

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