あってアタリマエのものは何も無い

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「函館」っていう漢字を初めて書いたぱなせです。こんばんは。(笑)

まだ使ったことない漢字、書いたことない漢字なんてのは山ほどあって、たとえ転職30回してても、知ってることより知らないことの方が多いんだと、しみじみ思う47歳です。(ΦωΦ)



あってアタリマエのものは、あってアタリマエと思い込んでるだけ

まるで禅問答。(笑)

数日前につんく♂さんの声帯摘出のニュースが駆け巡りました。目にした瞬間、その心中を察し、泣けてきました。普段の生活の中で、「声を無くす」なんてことは全く想像しません。あってアタリマエのものだからです。

話せること、聞こえること、見えること。これらは決してアタリマエじゃないんですよね。こうしてキーボードを打っている腕も指も、あってアタリマエのものとして意識せずに使っていますが、これもアタリマエじゃないんですよ。

周囲を見渡せば、話せない人も聞こえない人も見えない人もいるのに、自分がその立場にならないと、あってアタリマエのものじゃないってことに気づかない、気づけない。あってアタリマエのものなんて、この世には何ひとつ無いのにね。

自分で生きてると思うことの勘違い。

人間は、約37兆個の細胞で出来ていて、毎日約3000億個の細胞が死に続け、同時に死んでゆく細胞の数とほぼ同数の細胞が生まれ、私たちの身体は保たれています。

今、生きている細胞たちは、日々生まれ変わり、数ヶ月も経てば、身体の大部分の細胞が更新されているそうです。1年前の自分と全然変わっていないように見えても、細胞レベルでは全部新しく生まれ変わっているってことです。うん、またもや禅問答?(笑)

細胞1つ1つに起動スイッチがあるわけでもなく、意識せずとも自動更新されて、身体は維持され、命は継続しています。毎日、意識して心臓を動かしているわけでももなく、手も足も頭も、意識して動かしているのは、ほんのわずか。反対に、意識して止められる部分も、ほんのわずかでしかないんです。

それなのに、「自分で生きている」なんて思うのは、人間の愚かさ・浅はかさだと思うのですよ。私たちは「生きている」じゃなくて、「生かされている」のだと思うのです。どんなに辛い状況でも、意味があって「生かされている」のです。



命を磨いて磨いてピカピカに輝かせよう!

私たちは、生かされて、今を生きています。この時代に、この場所に生かされている意味を考えても、その答えはなかなか出てくるものではありませんが、男女の性差なく仕事を選ぶことができ、好きな場所に住め、好きな人と結婚できる時代に生きていることは幸運であり奇跡だと思うのです。

私たちが預かっている命は、何百年・何千年と続いた精子と卵子の奇跡の結びつきから、今に繋がってきたものです。この命は、預かっている自分次第で、どうにでも輝かすことが出来ます。どう輝かすのかも全て任されています。

先の先のことまで考えすぎる必要は無いです。他人の視線や意見に惑わされる必要も無いです。命を輝かせるために必要なことは、過去に拘らず、未来を見過ぎす、今を生きることです。自分の良心に沿って、自分の良心が満足するように、今を懸命に生きましょう。

生きることは、命は磨くことです。磨いて磨いて磨きまくって、ピカピカに輝かせましょう。あってアタリマエのものは何も無いという現実を直視して、あってアタリマエと思っているものが、今あることに感謝して、命をピカピカに磨くために、今日を今を、そして明日を生きていきましょー!(`0´)ノ オウ!

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