淡々と生きる。

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4年前の3月11日。春らしい青空が広がっていた。私は確定申告のために外出し、自分の順番まで時間があったので食事に行った。注文したものが出てくるまでの時間つぶしにツイッターを見ていたら、「津波」「地震」「大津波」のツイートが・・・。

地震?津波?

とにかく今起こっていることを確認しなくては・・・と思い、食事を済ませ、早足で会場に向かうと、大きな画面から今まさに町を飲み込んでいる津波の映像が映しだされていた。

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何も出来ないもどかしさ

多くの人が行き交う雑踏の中。画面の周りには深刻な表情の人達。重苦しい沈黙が広がる。画面に映る黒い津波。これは、現実?

家に戻って、テレビをつける。画面の中から、津波の映像が何度も何度も何度も流れてくる。画面の前から動けないまま、何時間も何時間も何時間も見ていた。

春とは言え東北の地。夜はまだまだ寒い。気持ちだけが焦る。ただ焦る。どうしよう?どうしたらいい?何ができる?何をしたらいい?泣くことしか出来ない自分がもどかしい。

淡々と生きる

2015年3月11日 午後2時46分。黙祷のサイレンが響き渡る。画面の前で黙祷する。天皇陛下のお言葉に涙が流れる。遺族の言葉に胸を打たれる。

今日は明日に繋がっていると誰もが思っている。必ず明日は来ると信じている。だけど、明日が来る確定は誰にも出来ない。自然の前に人間の浅知恵なんて通用しない。

人は死ぬ。誰もが死ぬ運命から逃れられない。私たちは生かされている。誰かの思いによって生かされている。だから、死ぬまで生きよう。生かされていることに感謝して、淡々と生きよう。今日を今を生きていこう。

まだ見つかっていない行方不明の方々が1日も早く見つかりますように。亡くなった方々のご冥福をお祈りします。

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