パナセ職歴一覧①

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1人自営業を始めて困ったこと・・・。
それは、「いったい今まで何してきた人?」と聞かれること。

なんせ転職30回、ホステス歴10年。

そんな私の過去職歴を説明するのは、めっちゃ大変。1人自営業になるまでの15年分の仕事内容を口で説明できないので、20歳からの仕事を抜粋し「職歴一覧表」をつくりました。

時間のある方は、超長ーい文章(約9300文字)になりますが、読んで行って下さい。(笑)ある友人は、この職歴を読むと勇気がでる。と言ってます。>なぜ?

より詳しい仕事での経験を、「天職探して転職30回」にて書いていっています。そちらも宜しければどうぞ♪

20歳 社会人1年生 学生服メーカー

専門学校で秘書の勉強をした(秘書系の成績は全部A)ので、秘書になりたくて、県内でもそこそこ大きい会社(秘書課のありそうなところ)を自力で探す。

で、専門学校を通さずに試験に臨んだら、あっさり合格。面接で学生服メーカーでありながら「学生服の仕事はしたくありません。秘書になりたかったのですが、どうやら秘書課がなさそうですので、関連商品部へ行かせて下さい!」と臆することなく言ってのけたら、希望通り関連商品部へ配属になる。

部長に気に入ってもらい、専門卒でありながら、大卒と一緒のセールス研修にも参加させてもらった。その時の指導員(外部コンサルタント)さんとの反省会時に、とある質問で私が答えた瞬間に、「君は天才だっ!」と指さされ(本当です)、その日から「私は天才なんだっ!」と思い込む。(笑)

主な仕事は、全国名産品の通信販売カタログや展示会での販売。特に通販カタログでは、商材選びから取引交渉。カタログのデザイン、顧客管理とありとあらゆることを体験させてもらった。新入社員でありながら、全国の気に入ったメーカーさんにびしばし電話をかけ、会社を説明し、サンプルをもらい、値段交渉に臨んだ。

ほとんどの部長クラス以上の方々が、私を気に入ってくれ、県外からわざわざ何人もの方が挨拶に来社して下さった。それらが評価され、仕事は相当自由にさせてもらった。たくさん、全国メーカーさんとお友達になった。(笑)

この時代、バブル全盛の頃。年功序列も根強くある時代。社内には、仕事も出来ないのに年齢だけで課長になってる人がいて、その人が、私の直属の上司だった。目の前で毎日、鼻をほじって、ぼぉ?と過ごす毎日。私がやった仕事は、その人の評価となる・・・世の中の不条理を感じ、年功序列なんて絶対無くなる!と思った。

その後、わざと残業代を稼ぐために残業している同期の女の子の方が昇給率が良かったので、これまた、社会の不思議を感じ、がんばることに嫌気がさした。1年半ほど勤めたが、後半は水商売も初めていたので、完全に腰掛仕事になってしまった。今思うと、めちゃめちゃ反省。けれど、社会人1年生でありながら、0から1にする過程を学ばせてもらったのは、大きな財産になっている。

システム屋

この頃は、まだCOBOLやC言語がメイン。専門学校で、COBOLも学んでいたので、ちょっとシステム屋に興味を持ち・・・何より、ブラインドタッチが早かったこともあって知り合いに誘われて入社。病院システムをつくる会社で、システム設計なんぞをしていた。

ミニスカートで事務局長からセクハラ言葉をうけていた。手をグーにしながら仕事していた。でも・・・興味はあったものの、プログラマーの才能は開花することなかった。(笑)しかし、システムができるまでの基礎は、しっかりと学んだ。

派遣社員

データ入力

社員になるのがめんどくさくなって、少しずつ知名度が上がってきていた派遣社員となる。この頃の派遣社員は、たいした仕事がなく、データ入力会社に派遣される。(けど、派遣されるには、一定の入力スピードテストに合格しないと、仕事をもらえなかった。)

毎日テンキーだけを打つ仕事。単純作業も決して嫌いじゃないので、どんどん入力スピートは早くなっていった。でも、何の刺激もなく、数ヶ月でリタイヤ。

建設会社事務

派遣社員。建築現場の事務員。全くもって面白くない仕事。水商売がメインで、昼がついでの仕事って感じだった。けど、お仕事はまじめにした。ある朝、阪神大震災がおこった。事務所のテレビでかじりついて見ていた。

24歳 美顔器メーカー

1回目の人生の転機になった完全歩合給の仕事。出会った女性(上司)に一目ぼれして、この女性のような人になりたいと真剣に取り組んだ。水商売も辞めた。

1年半たった頃、半年累計売上4800万円を達成し、念願のインストラクターへ。2年弱の期間で、約1億数千万を売り上げた。ここで学んだことは、簡単に書けない。今の私の仕事に対する考え方や生き方の原点とも言えるほどに、たくさんのことを学んだ。

なんせ、売上がないと収入がないのだから、必死になる。多いときは、月100万円稼いだ。目標に対する考え方や数字の作り方、顧客の目線、顧客のためとはどういうことか?自由とは何か?たった2年弱の期間でありながら、とことん自己啓発セミナーを受けた感じ。数字を創る楽しさやしんどさを知った。

インストラクターになった途端、モチベーションを維持できなくなり、歩合給の不安定さに疲れて、挫折。でも、このときの上司は、今でも良きお付き合いをしていて、10年以上たった今となっても、「あんなにがむしゃらにやった子はおらんかった。」と褒めてくれている。

この仕事で、他人の脳みそは違うんだと実感し、自分以外に変われるものはないと理解した。自分を変えることがしんどくて、毎日変われない自分と戦い涙していた。日々、ただただインストラクターになるために、数字との追いかけっこをし、数字は自分で作るものと叩き込まれた。

目標を達成するという経験をしたおかげで、ステージを1段自力で登ることで、見える景色は違うのだと知った。目標達成には、明確なビジョンとイメージ。そして、情熱をもって達成するまで諦めないこと!を体得した仕事。

特にイメージングはその細部にいたるまでイメージすることの重要性を学んだおかげで、今では、頭の中で色々な場面が完全に映像化されるほどになっている。また情熱の持ち方、モチベーションの維持の仕方なども、ここで学んだ。ここでの仕事で得たものは、本当に書ききれない。

怪しげな教材屋

個人向けTELアポ営業。1ヶ月持たず挫折。この時は、TELアポがどうしても出来なかった。

宝石店

個人宅への訪問販売。4000万円ぐらいの宝石を毎日持ち歩いていた。事務所を整え、売り方を伝授していった。後になって気づいたが、完全悪徳会社だった。(笑)

ここの中心の女性が社長の愛人だった。見てすぐわかった。女性は素直で、悩みを相談してきていた。社長が、この女性に優良客を紹介し、たいした営業もしてないのに宝石が売れ、その歩合で数十万単位で営業手当(という名の愛人手当)をとっているのを見て、それを社長に直訴したことで、どうやら機嫌を損ねたらしく、大もめにもめて、お金まで払わされて辞めた。

ところが、1年後に愛人女性から戻ってきてほしい言われた。。。ほとんど脅されてお金まで払わされて辞めたのに戻ってこない?と言ってきた愛人女性の言動・行動にも???になり、この愛人だった女性と縁を切った。

結局、愛人だった女性も別れる時にもめて、家に押しかけられ脅され逃げる生活を強いられたよう。けど、私から見れば、この女性の自業自得に見えた。普通の子が、数十万、多いときに100万単位でお金を得てしまうようになると、こんなにも人は変わるのかとちょっとショックだった。その後、この女性の行方は知らない。(恐)

パナセ職歴一覧②高松編
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