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高松の6年半(職歴一覧②)が終わり、続いていったのは小倉(福岡)。
新天地を楽しみに行ったのですが・・・
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34歳|ソフト販売会社>小倉へ移住
元上司が会社をつくったもんで、高松に長く居過ぎたと感じていた私は、何もかもを一旦リセットするつもりで転職。中古車販売業者用の管理ソフトの販売。
だけど、会社としてな~んにも出来てなかったので、必要書類の1枚からつくった。WEBサイトもつくった。ソフトの指導ができるように徹底的に勉強した。(長崎まで行った。)マニュアルもつくった。パートも管理・指導した。
しかーし、半年でその社長に辟易して岡山に戻った。中間管理職だった頃の上司は、最高の上司だったけど、社長になった時には、最低の上司になった。(よくある話)
たった半年だったけど、小倉にまで移住して経験したことは、すごく勉強になった。また、小倉へ転居したおかげで、1冊の本から九州ベンチャー大学の栢野さんに出会い、楽天日記を始めた。
分岐点~1冊の本がキッカケとなり、新しい道が出来た!~この楽天日記から、全国に知り合いができ、独立することになった。まさか、仕事に繋がるなんて思ってもなかったけど、今じゃ仕事の依頼のほとんどが、ネット繋がりの人脈からきている。どんなにつまらん仕事だったとしても、ココロの持ちよう。やっぱ人生に無駄はないね。っていうか、絶対に無駄にしないね。(笑)
小倉は、半年しか持たず・・・しかし、小倉に移住したおかげで、栢野さんに出会いました!続いて、番外編のお届け。
番外編
ダイヤルQ2のさくら
事務所に女の子が数人いて、サクラで電話を取る。色んな子がいて、色んなお客さんがいた。嘘八百の世界。その嘘に踊らされて、客の男と会い、簡単に寝て、首になる女の子も多かった。
この仕事は、長く話さないとお金にならなかったので、今思うと、コミュニケーション能力が磨かれたのは確か。(笑)この頃、Q2の電話料金のことが、社会問題にもなってたね。
出会い系サイトのさくら
パソコンで1度に5人ぐらい返信できる。言葉遊びの世界。1件返信をもらっていくらのバイト。エッチ系のキャラが大人気だった。人間の本能に働きかける商売は、いつの時代もなくなることがないんだと、妙に納得した。
でも、エッチ言葉でその気になるってのが理解し難かったね。メール交換をするほど、こっちは冷めてたけど、相手はどんどん過激になったもんね。だいたい、メールしながら何が出来るの?ほんと理解しがたい世界だった。
裏話を言うと、このさくら商売で一番儲けていたのは男性だった。一人で十数人の女の子になりきって、メール交換してた。月に30万ぐらい稼いでいた。
ちゃんとバイト仲間専用のサイトがあって、そこで今のランキングが出てたりしたし、会員の男性のメール交換履歴なんぞも見えていたので、すごいなぁ?と感心しきりだった。
さくらの子たちは、メールを続けてなんぼだから、言葉が巧み。反対に、素人女性は自分からメールが続くように言葉を選ばない。だからお客さんである男性は、素人女性とのメールはすぐ諦めて、さくらにばかりに返信していた。世の男性諸君。気をつけましょう。(笑)
結局、ダイヤルQ2と一緒で、顔の見えない相手へのバーチャルな商売に疲れて、すぐ辞めた。ただ、本能に関わる仕事の奥深さとシステムの作り方は、とっても勉強になったよ。
水商売
岡山・高松にて、合計10年間。長いとこで3年ぐらい働いてた。会社勤めは3年ももたないくせに、水商売の店は、1度勤めだすと1年ぐらいは勤めてた。ほとんどの期間が、昼も働きながらホステスも兼業してた。
数年間は、朝9時から営業会社に勤め、晩7時から夜中1・2時まで働き、3時すぎに寝て7時頃起きて会社に行く・・・という生活だった。最初に勤めたお店がカラオケの無いお店だったから、「話をする」ことが仕事だった。カラオケ全盛の時代に、カラオケの無いお店に勤めたことは、ものすごくプラスだった。
今になって、この水商売でたくさんのものを得ていたことに気付かされる。特にコミュニケーション能力。今「コーチング」が大流行だけど、あんなもん、コーチの勉強したからって誰でも出来るもんじゃない。
水商売の基本は相手への共感と癒し。会話も相手を立て引き出すことが重要。それを、若いときから経験できたのは、大きな財産になっている。また、政治家は国会で仕事をしてないことも理解したし、官官接待の現状も見た。世の中の裏表をたくさん垣間見た。
若いときはお小遣い稼ぎでしかなかったけど、ほんとに水商売と経験していて良かったと思う。バブルでお金が舞っているのも見たし、消えていった人も見たし、男で泣かされる女も見たし、騙される男も見た。世の成り立ちを理解したのは水商売の世界にいたからだ。
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35歳|岡山へ戻り、ひとり自営業開始
平成15年5月末に、約7年ぶりに岡山に帰郷。数ヶ月の長?い夏休みを取り、8月末から少し活動をはじめ、日記と本の紹介だけのホームページを自作。
この年の5月からネット上で日記を書き出したのをきっかけに、9月にとある社長と出会い、10月より新規ビジネスの立ち上げを手伝うこととなり、1人でもネットがあれば、何とか食べていくだけの仕事はできるかもしれないと期待をもち・・・。
2003年後半からの流れを受け、色々な方の後押しもあり、2004年1月に税務署登録し、1人自営業として活動していくことに。2018年、自他共に驚く15年目に突入しました。(笑)
まとめ
ざざっと、私が経験した仕事を列挙してみました。
ここに書ききれないほどの経験をし、途中から色んな営業を全部やってみてやる!と決め、訪問販売、店頭販売、展示会販売、飛び込み営業、リスト営業、反響営業、紹介営業、法人営業等々、実際色んな種類の営業を経験しました。平社員から支店長代理まで経験しました。職場の数だけ現場を見ました。
上手くいったものもあれば、失敗に終わったもものあります。今でも会えるお客さんもいれば、顔向けできないお客さんや会いたくないお客さんもいます。そのどれもが、今の私の大きな財産となっています。興味がある現場に直接入り動き、数字をつくってきました。このたくさんの経験が、私自身の知識となり知恵となりノウハウとなっています。
今この仕事をしているからこそ余計に感じることができます。経験は宝だ!と思います。今では、この経験の多さが評価される時代になってきています。とても不思議なことです。けれど、評価して頂けるのは、大変有難いことなので、その期待に応えられるように、1つ1つのお仕事に真剣に取り組んでいます。
きっと他人様から見ると、たいそう変わった人間(笑)でしょうが、私の経験からくるノウハウが使えるかも?と思えたなら、ぜひ1度、お気軽にご連絡下さい。
↓↓2000年頃からインターネットに触りだし、ホームページ製作を独学しました。↓↓
インターネット+WEBサイト製作歴19年を振り返ってみた。スポンサーリンク