「持たざる人生」を生きる

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2011年3月11日。

その日、確定申告のために外出しました。申告会場につき番号札をもらい、自分の順番までに相当時間があると思ったので、ちょっと遅いランチを食べに行きました。

頼んだものが出てくるまでヒマだったので、携帯でツイッターを見始めたところに、「大地震が・・・津波が・・・」という書き込みが目に飛び込んできました。

「地震?津波?何?どういうこと?」

キョロキョロと辺りを見回しましたが、その場にいる人たちは笑顔で話ながら、美味しいご飯を口にしています。

「え?え?なになに?」

岡山は揺れもありませんでした。店の外の景色も何も変わっていません。しかし、ツイッターの中では信じらないない内容が次々に書き込まれています。定食屋だったので、すぐに食事を済ませ、とにかくどこかにテレビが無いかと会場に向かいました。

会場に入る渡り廊下に大きな画面があり、人だかりができていました。目を疑いました。大きな波が町を飲み込んでいっています。そこに映しだされている映像は、今まさに起こっていることなのでしょうか?それさへもわかりません。画面の右上に、地域名が小さく表示されています。アナウンサーが叫ぶように何かを言い続けています。

「現実だ。」

愕然としました。何をどうしたらいい?と考えても、岡山の地で、今すぐ何か出来るわけでもありません。心が落ち着かない状態のまま、とにかくとりあえず確定申告だけは終えて、家に戻り、すぐにテレビをつけました。どのチャンネルも、すべて津波の映像です。そこから数日間、何も手につかず、ずっとテレビの前にいました。

あれから3年。私の生活は、淡々と続いています。けれど、価値観は大きく変わりました。震災で多くのものを失った人たちの悲しみを見て、私は、「何も持ちたくない」と思いました。

形あるものは壊れます。家も車も、あっという間に波に飲まれました。誰かにとっての大事な人たちも、波に飲まれました。

自分の無力さを痛感しました。死は、いつもすぐ側にあることを再認識しました。生けるものは、必ず死を迎えるとわかっていても、残された人々の痛みや悲しみを癒やすことはできません。

ならば、せめて自分と関わった人や周りにいる人を笑顔にすることはできるかもしれない。ほんの一瞬であっても、笑顔になる時間を作ることができれば、それはそれなりに価値があるんじゃないかと思いました。

命があり、身体が動き、話すことができれば、誰かを笑顔に出来る。そして、どこででも生きていける手段として、手相観になることに決めたのです。「手相観」になると決めたことで、私の前に手相観への道ができました。

震災がなくても、私は「手相観」になっていたと思います。けれど、震災があったから、「死」を身近に捉え、これからの生き方を本気で考えたことも事実です。私は、身体ひとつで稼ぐことができる手相観になることで「持たざる人生」にしようと決めました。

私は、土地にも地域にも人間関係にも、あまり執着がありません。岡山で震災が起こったなら、私は平気で違う土地に移り住みます。その時、土地や家を所有していたら、なかなか動けないでしょう。身1つであったなら、いつでもどこにでも行けます。まして、身1つあれば稼ぐことができれば、その土地や地域に執着する必要もありません。

人間関係だって、縁ある人とは、また出会います。言葉が通じれば、いつでもどこでも新しい人間関係を作ることができます。身内への思いもありません。私は結婚もしてないし、子供もいないので、なおさら身軽です。両親は健在なので、両親を看取ることが私の今生の勤めだと思っていますが、それ以上もそれ以下もないです。

「生きること」そのものが、生きることの目的です。私は、今持ってる「この身体」「感情」「知恵」「知識」「スキル」「経験」だけを持って、これからの人生を生きていこうと思っています。

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