日常に戻るんだ。

この記事には広告を含む場合があります。記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。

3月11日午後3時すぎ。
確定申告に行って、待ち時間に食事をとろうとご飯屋さんに入り、食事がでてくる数分間の空き時間にツイッターを開いたら、地震のツイートで埋まっていた。

刻々と流れてくる津波情報のツイート。
ニュース画像を見てなくても、そのひどさが伝わってくる。
悲惨な状況に、胸が痛み、どうすることもできないのに、何か何か・・・と1人焦る。

私の周りにいる人たちは、今この瞬間、同じ日本のどこかで大津波の中、逃げ惑っている人たちがいることを知らずに、お腹いっぱいご飯を食べて、友人たちと笑い合っている。

平穏な日常を目の前に、携帯の小さな画面の中で広がる悲惨な現実。
確定申告を終えて、早々に家に戻り、テレビをつけた。

あの日から、今の今までずっとテレビはつけっぱなしで、まともにご飯も食べず、何かするでもなく、次々と流れてくる悲惨な画を、ただぼーぜんと眺めていた。

どうなるの?
どうするの?
何をしたらいい?
何ができる?

そんな言葉ばかりが脳に浮かび、やるせなさが胸を包み、日常を置き忘れていた。

でももう辞めよう。
日常に戻るんだ。
私にできることは、日常を送ること。
稼いで、消費して、経済をまわすこと。
笑って、楽しんで、今日を過ごすこと。


そして、普段の生活より、ほんの少し節約して節電して、寄付をしよう。被災地にまで行かなくても、大きなお金じゃなくても、できることはたくさんある。

小さな思いと行動が、大きなパワーになる。お悔やみの言葉でお腹いっぱいにはならない。「同情するなら金をくれ!」だよ。

亡くなられた方々の冥福を祈り、1人でも多くの命が助かり、1日でも早く被災地に日常が戻ることを祈りながら、できることから始めよう!

それを「希望」と名づけよう
佐野元春
街が揺れた夜、君はひとり無断で、
市営プールに潜りこみ、身体を水に浸した
そして暗がりの中、瞑想した
人は時に、光に水に、雨に風に、感謝し、
人は時に、光に水に、雨に風に、屈服する
この闇の向こうに震えるのは
誰か、嘆きの声
同胞の不在は確かに不可解だ
それはそうだ
しかしどうだろう
君は偽善の涙など流さないと誓ってくれ
決まりきったお悔やみなど無用だと言ってくれ
夜が明けて、そこにいつもどおりの太陽が照り、
草木は首をもたげ、
鳥たちは空を往く
あぁ、美しくも残酷なクリシェ!
一方で、
君の身体の細胞ひとつひとつに染みいる光はどうだ
傷だらけではあるが依然雄々しいその筋肉はどうだ
そうさ、君は同胞の不在を気にかけているんだろうが、
たとえば、
偶然にも生き残った君の生を讃えてみてはどうだ?
たとえば、
生き残ったことへの幸運を噛みしめてみてはどうだ?
不謹慎だとわめく偽善者を後に残し
君が光を放つことで、友を弔うんだ
それを「希望」と名づけていいんだよ
余震は続く

佐野元春さんの詩
PR