「今」にしか生きられない。

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毎日、「今日何書こう?」と、画面を開いてから考えることが多いのだけど、今、ニュースを見てたら、26歳の競泳選手が亡くなったと。

26歳なんて若すぎるし、死亡原因もまだわかってないらしいが、こうしたニュースを見ると、いつ自分もそうなるか?と考えてしまい、怖くなってくるよね。

死ぬことが怖いのではなくて、もしこの部屋で1人きりで死んでしまったら、死んだ後に残される猫が餓死することが想像されて怖くなる。

自分は死んでしまってるのだから、もうどうでもいいんだけど、生き物が自分の死のせいで死ぬのはイヤだよねー。

こうしたニュースを見ると、今日を大事にしよう。と必ず考えるのだけど、結局、考えるだけで、いつもの日常を過ごしてしまうんだ。

でも、人生ってこんなもんじゃないかと思うんだよね。「死」はいつでも側にあるけど、普段は忘れてる。そういった存在でいいと思うんだ。

今日を後悔しても、もう今日は過ぎた過去だし、明日を想像しても、まだ今日だし。

結局、どんだけ後悔しようが想像しようが、
「今」にしか生きてないんだから、
「今」の感情のままに、
「今」を過ごせばいいと思うんだ。
そして、「今」すべきことをやるだけだ。
なんか、禅問答みたいだね。(笑)

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2 COMMENTS

G

死はいつも側にあるということを、
知りうるのは、
悲しい出来事でしかないという、
人生のムツカシサがあるんだと思う。
だからこそ、行ってきますと
おやすみなさいは、
笑顔で言いたいもんですな。

ぱな

うんうん。
ほんとそうだね。
そう思うと、
「行ってきます。」
「おやすみなさい。」
は、
「生」を象徴する言葉だと気づくね。
そこに「笑顔」があるなら、
キミの「人生」は幸せだね。

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