墜落遺体―御巣鷹山の日航機123便|隣にある・・・

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本屋にふらっと行き、立ち読みだけでは満足せず購入。

1985年8月12日に起こった最大最悪な事故。その身元確認作業127日間の壮絶な日々が綴られています。ニュースだけでは知りえなかった現場の悲しみや苦労が心に突き刺さります。

成人女性の炭化した遺体の胸部からでてくる子供の歯。お母さんが子供を抱きかかえながら焼け死んだ遺体。

目と思われるのが3つある頭部。後ろの座席の人の頭部が、前の人の頭部にのめりこみ1つの塊になった遺体。

ドッチボールのように丸まった炭化した遺体。骨がばらばらで皮膚がぐしゅと丸まっている。そっとほどいていくと、1つの塊は男女2人であり、新婚旅行中のご夫婦の遺体。

シートベルトのところで身体が裂け、体外に放りだされ、お腹の中にいたはずの6ヶ月の胎児の炭化した遺体。

読めば読むほどに、ひどい惨状が目に浮かび、被害者家族の叫びが聞こえてくるようです。

すべての身元を確認するために、何千人もの方がかかわり、最後の遺体をお渡しするまでの日々を綴ったこの本から、「死」そして「生」というのを考えずにはいられません。この人達は、誰も予期せず、落ちゆく恐怖の中で死していきました。

去年の夏。友人の弟が、自ら死を選びました。幼い我が子も連れて逝きました。残された奥さん。1年間、必死でこの世と繋がってきましたが、この夏、自ら舌を噛み切って、彼と子供の元へ逝きました。

友人のブログで、奥さんも亡くなったことを知りました。ずっと、言葉にはしていませんでしたが、残された奥さんのことを思っていました。ただただ、この世にとどまって生き続けてほしいと願っていました。

言葉にならないショックが襲い、涙がでました。私が泣いてどうなるものでもないことはわかっているけど、深い悲しみを感じてます。

不謹慎ではあるけれど、愛する人を亡くした悲しみから逃れるために、自ら死を選んだ愛の深さをうらやましくも感じました。

事故は、いつ我が身に降りかかるかもわからない。何かのきっかけやはずみで、自ら死を選択しそうになるかもしれない。

生と死は、いつでも隣り合わせ。生き続けるには、パワーがいる。望むものが手に入っても無くても、私達は、今に生かされ生きている。

「死」を自ら選択しなくとも
「生」を受けた瞬間から
「死」は隣にある

生かされてる限り、生き続けよう

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