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高校卒業後、出来たばかりの専門学校に入学。私は秘書になりたかった。今から思うとテレビで見るキャリアウーマンのイメージがかっこよかったからだと思う。
2年間で、秘書、簿記、ワープロ、COBOLと色んな知識を学ぶ。(秘書系の成績は全部A)が、あんましまじめに勉強はしなかった。だって恋愛に忙しかったんだもーん。
就職活動の時期になり、最初の目標通り「秘書」になることを目指す。世の中はバブル全盛時代。野村證券が就職したいとこ1番の時代。が行っていた専門学校は創立したばかりで、私達が始めての卒業生ということもあり、あんましたいした求人が来てなかった。
で、県内でもそこそこ大きい会社(秘書課のありそうなところ)を自力で探し、専門学校を通さずに試験に臨んだら、あっさり合格。地元で老舗の学生服メーカー。
学生服メーカーでありながら、どーしても秘書になりたかった私は面接で「学生服の仕事はしたくありません。秘書になりたかったのですが、どうやら秘書課がなさそうですので、関連商品部へ行かせて下さい!」と臆することなく言ってのけたら、希望通り関連商品部へ配属になる。(この関連商品部ってのは、学生服以外の新規事業立ち上げ部隊。)
配属された私は部長に気に入ってもらったようで、基本的に大卒しか参加させてもらえないセールス研修にも参加させてもらう。専門卒は私1人。他はみな大卒のみ。
まだまだ学歴がモノをいう頃で、専門卒なんて高卒と一緒の扱いで、ほんとただの事務員(お茶くみ)扱いでしかなかった頃。一般職と総合職と言われ、大卒女性も男性と同じような仕事(総合職)への道が少しだけ広がってきていた時代。
このセールス研修ってのが、学生服のサンプルをもって2人1組で小学校6年生のお宅をてくてく徒歩で1件 1件訪問し、中学校の予約販売を頂くというもの。名刺もなく、ただ学生服をもって1件1件ピンポン営業。初めての営業経験。大卒のなよなよ男性と1日半地区まわり。
最初は、大卒男性に特攻部代を任せていたけど、ちっとも話を続けることも進めることもできないので、途中から私がピンポンを鳴らし、特攻部隊として切り込みお客さんとなる人と話を続け、予約をとるための営業をかけていった。数十件ピンポン営業をかけ、予約を2件GET!もちろん私がとった。(笑)
確か・・・10組(20人)ぐらいの参加で、予約をとったのは3組ほどだったと思う。その夜の指導員(外部コンサルタント)さんとの反省会時に、とある質問で私が答えた瞬間に、「君は天才だっ!」と指さされ(本当です)、その日から「私は天才なんだっ!」と思い込む。(笑)
セールス研修後、いくつかの研修を終え現場に。主な仕事は、全国名産品の通信販売カタログや展示会での販売。特に通販カタログでは、商材選びから取引交渉。カタログのデザイン、顧客管理とありとあらゆることを体験させてもらった。
新入社員でありながら、全国の気に入ったメーカーさんにびしばし電話をかけ、会社を説明しサンプルをもらい、値段交渉に臨んだ。ほとんどの部長クラス以上の方々が、私を気に入ってくれ、県外からわざわざ何人もの方が挨拶に来社して下さった。たくさん、全国メーカーさんとお友達になった。(笑)
それらが評価され、仕事は相当自由にさせてもらった。もちろん、私自身も仕事への意欲もあったし、仕事自体任せてもらい好きにさせてもらっていたので、とても楽しかった。
社会人1年生。平成になったその年。会社にパソコンなんて、まだまだない時代。おっきなオフコンはあったけどね。ブラインドタッチができるってだけで、ほぉ~と感心された時代。この時代は、年功序列も根強くある時代。ってか当たり前の時代。女性の管理職なんて、地方の会社ではありえない時代。
社内には、仕事も出来ないのに年齢だけで課長になってる人が何人もいて、その中でも特にひどい仕事できない鼻ほじりおっさんが、私の直属の上司だった。目の前で毎日鼻をほじって、ただぼぉーと過ごし、上司にはヘコヘコし、上司に呼ばれるとさも自分は仕事やってます。という返事をするおっさん。
当然、社内からも社外からも存在を無視されているような人。けど、課長。私がやった仕事は、ぜ?んぶ、その人の評価。世の中の不条理を感じた。仕事では私の方が何倍もこなしているのに、給料はそのおっさんの方が何倍も上。
プラス、わざと残業代を稼ぐために残業している同期の女の子の方が昇給率が良かったので、これまた、社会の不思議を感じ・・・だんだんとがんばることに嫌気がさし、仕事への意欲もやる気も失っていった。
「年功序列なんて絶対無くなる!ぜーったいぜーったい実力次第で認められる時代になるはずだー。」と強く思った。が、そうなるまでには時間と世の中の変化が必要だった。大手企業や老舗企業が潰れることなんて、誰1人・・・誰1人として考えもしない時代だった。
女の子が1度入った会社を簡単に辞めるのも「信じられない」と言われる時代。ほとんどが結婚退社してたからね。特にこの会社は、社内恋愛&結婚が当たり前の風潮だったから、私が「ただ辞める」というのは、誰にとってもバカな選択に映ったよう。
1年半ほど勤めたが、後半は水商売も初めていたので、完全に腰掛仕事になってしまった。今思うと、めちゃめちゃ反省。けれど、社会人1年生でありながら、0から1にする過程を学ばせてもらったのは、大きな財産になっている。
もちろん、今だからそう思えるんだけどね。その時に、こんな高尚なことなんて、ちっともまったくぜんぜん考えることなんてなかったさ。若いってすばらしい!&若いって無知でバカ。そんな時代が愛しいと思う今日この頃・・・(笑)
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