ブログは明日の自分自身に書くもの

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私が、ネット日記を書き出したのは2003年4月末。
それから、ブログが登場し、ブログに以降したのが・・・2004年。
過去日記や過去ブログのすべては残してないけど、
一部でも残していることによって、
その時々の状況や考え、出来事を思い出すことができる。

現在、ブログを書き続けてるのは、
友人、知人、お客さんに現在の状況をお知らせしたり、
考えてることを伝えるためだったり、
私に興味をもってくれた人に、より興味を持ってもらうことだったりと、
ビジネス的な面もあることは否めないが、
それ以上に、昨日までの自分が何をして、
何を考えていたかを思い出すツールになっていることは確かだ。

日々の思考は、その瞬間瞬間でめまぐるしく変化し、
さっき何を考えていたのかさへ忘れてしまうほど、
ほんの一瞬前の自分が、過去の自分になる。

そんな中で、ブログを書いてることにより、
記憶ではなく記録として残しておけるのは、
明日の自分への財産になるんだと気づかせてくれたのが下記のブログ。

確かにブログに今書けるのは、「その時の自分自身」しかない。しかしそれを誰が読むかと言えば、明日の自分だ。そして明日の自分から見た「その時」の自分は、昨日の自分という他人。別にブログに書かなくとも、今日の自分は明日の自分にとっての昨日の自分ということにかわりはないけど、しかしそれをブログに書いておけば、「昨日の自分たち」にはいつでも逢える。
これを書かないで済まそうとすると、過去の自分をいつまでも覚えておかなければならない。尾籠なたとえで申し訳ないが、それは精神的便秘の一番の原因だ。いいことも悪いことも、書いてしまえば「さよなら」ではなく「またね」になる。その安心感が、頭を空にしてくれる。
そしてありがたいことに、そうして「忘れた」「自分が昨日なにを言っていたのか」も、「自分がどんなことを言った」程度であれば思い出せる。そして実際に何を言ったかを知りたければ、検索一発で昨日の時分を再生できる。
「その場限り現金決済」のつもりで書いた事が、実は財産になっているというのはなんともおいしいことではないか。
引用元:404 Blog Not Found:ブログの過去ログほど有難いものはない

書くことによって、頭を空にできる。
「さよなら」ではなくて「またね」という感じ。
まさに、その通り。

昨日までの自分は、誰よりもよく私を知る唯一無二の友人でもある。
昨日までの自分を取り戻すことはできないけれど、
今日の自分は、昨日の自分から出来上がってる。

今日書くことは、明日は書けない。
その時に紡ぎだされる言葉の数々は、
その瞬間の自分でしか書けないものなのだから。

明日の自分のために、
限りある時間を、さらに濃く生きるために、
心新たに、今日の自分をブログに記していこう。

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