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NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」を観ました。
予告動画では顔がはっきり分かりませんが、本編ではご本人も姉妹も顔を出し、最期の最期、安楽死を選択し、自分で薬の投与を開け、死に至るまでの数十秒までも放送されてました。
この彼女は安楽死を選択し、同じ病気の別の女性は人工呼吸器をつけても生きる延命を望みました。二人とも家族のために死ぬこと・生きることを選択したように思いました。
番組の内容は、積極的安楽死を選択した女性と延命を選択した女性の二人の生き方を、視聴者の判断に委ねる形でまとめられていたように思いましたが、安楽死のその瞬間まで(顔も見えてる)放映されたことに、番組の良い悪いではなく、大きな大きなショックを受けました。
最近のNHKは、プロフェッショナルではご遺体の姿をモザイク無しで映し、今回も最期の瞬間まで映しました。賛否はあれども、「現実を、ありのままに見せる」という取り組みは決して悪いことではないと思います。
思いますが、積極的安楽死は自殺だと思ってる私からすれば、自殺する姿を見せられたも同じなので、とてつもなく大きなショックを受けています。>ならば見るなという話は無しで。
最期の瞬間、本人は「ありがとう」と言い、同行した姉の一人が「ごめんね」を連呼してました。この「ごめんね」には、どんな思いがあったのか?
彼女の「ありがとう」に同調したのか?お姉さんの「ごめんね」に同調したのか?人の死に直面したショックからか?泣きながら番組を見終えました。
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積極的安楽死は断固反対です!
番組の中でも言っていましたが、「安楽死」には「消極的安楽死」と「積極的安楽死」があります。日本では積極的安楽死は認められていません。消極的安楽死については、取り組みがはじまっています。
耐えがたい苦しみに襲われている患者や助かる見込みのない末期患者が、医師の助けを得つつ、自らの意思で死を選ぶ安楽死は「積極的安楽死」と呼ばれるのに対し、患者の意思により積極的な延命治療を行わないのは、「消極的安楽死」と呼ばれる。
スイスでの安楽死を決行した彼女の遺体は日本に連れて帰ることができず、遺灰になってスイスの川に流されたそうです。
スイスでの安楽死を望んだ彼女は、自分の身体がどんどん自分でコントロールできなくなってきてる現実に、「自分が自分らしくいられるうちに死にたい」と自殺未遂を何度も起こしてました。
そんな彼女の側にいた姉二人は、彼女の希望を受け入れ、スイスに同行し、その瞬間まで一緒に時間を過ごしました。妹さんは、何度も何度も生き続けてくれるようにと説得しつづけてました。
「人に頼って生きたらいいのよ。」と言い続けてましたが、その思いは受け入れてもらえず、彼女は安楽死を選択し、最期の場所となるベットの上から妹に電話して、「ミナ姉ちゃんがいたことを、たまに思い出して。たまにでいいから」と言ってる姿が映っていました。
そんな姿を見ながら、「ならば、死ぬなよ!」とテレビに向かって怒ってました。私は、妹さんに賛成です。何をどう取り繕っても積極的安楽死は自殺です。
スイスの医師は、「生きることも死ぬことも個人の選択」と言われてましたが、生死は神様の領域です。自分でコントロールして、この世に生まれてきてないのに、なぜ死だけは自分でコントロールしようとするのか。その行為が、とてつもなく傲慢な自我の行為ではないのか?と私は思いました。
番組の中では、積極的安楽死と人工呼吸器をつけても生き続けるとの比較で、積極的安楽死と消極的安楽死(延命処置はしない)との比較で悩んだ姿はありませんでした。人工呼吸器をつけるかどうかも自分で選択します。人工呼吸器をつけずに逝く道も選択の1つにあったはずなのに、その様子が無かったことが残念でした。
彼女は、小さな頃から自立心旺盛の女性だったそうです。病気になる前の彼女は、とても美しく自立した女性でした。仕事もバリバリとこなし、都会で一人暮らしをしていたそうです。人生を、自分で決めて、自分でコントロールしてきた自負があったのでしょう。だから、自分でコントロールが出来なくなる身体が許せなかったのだと思いました。
そして、いくら「妹が楽になるなら」という理由であっても、「自殺未遂を何度もさせるぐらいなら」という思いがあっても、積極的安楽死を容認してはダメだったと、私は思います。思いますが、お姉さん達の考えを非難するつもりもありません。ただ、もし私が彼女や彼女の姉妹の友人だったならば、とことん反対したと思います。
以前、別の番組で外国人の方の安楽死する瞬間までの映像を見たことがあります。これから死ぬという数分前まで、「本当は生きたい」という思いと「でも生き続けるのも辛い」という相克した思いの葛藤を感じたし、その死を見てて、やっぱり自殺だなと思ったことを思い出しました。誰が何を言っても、積極的安楽死は自殺です。
神様から預かった命と身体という思いがあれば、どんな状況状態でも、今ここに生きてることに感謝が湧いてきます。本当に本当に、この世に生きてることに感謝があれば、積極的安楽死は選ばない、選べないと思います。死を自分で選択するなんて、人間の傲慢な考えでしか無いと私は思います。
もし私が不治の病になり、いずれ身体が動かなくなり、胃ろうと人工呼吸器が必要になると宣告されたら、胃ろうや人工呼吸器(延命処置)はやらず自然に逝けること(消極的安楽死)を希望します。
だけど、これら考えは健康な身体でいるから思えることなのかもしれず。彼女と同じ立場になれば、どの道を選択するかは自分でも分かりません。分かりませんが、健康な心身で決めていることは、延命処置は望まないということです。
積極的安楽死でこの世を旅立った彼女は、今何を思っているのか?その声も思いも聞くことはできません。彼女の魂が日本に戻ってこれることを祈ります。
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